玉門関 と 漢長城 の体験記と写真

玉門関と漢長城を見学します。

アクセス

敦煌の市街地からは迂回して向かう道路のため、西千仏洞を経由して、西千仏洞から北に向かい、敦煌の西へと向かいます。


西千仏洞から先は、周囲に何もない砂漠です。


道路工事のダンプカーが時折走っています。





そろそろ到着です。

漢長城

漢長城址に到着です。正面の土塁が漢代に作られた万里の長城です。




こちらが長城です。


横方向の縞があることから、版築で作られています。


遠方に烽火台も見えます。まだ、この場所から15kmほど西に城壁は続いています。


風化が進んでおり、砂に埋もれていたり崩れていたりしています。


周囲は平坦で、何もありません。こんな砂漠の真ん中に2000年近く前に長城を建設したことが驚きです。

玉門関

先の漢長城から4kmほど東に向かったところに、玉門関の遺跡があります。


そろそろ到着です。


地図ではこちらです。

到着しました。


トイレ

砂漠の真ん中ですが、トイレがあり、観光地として整備されています。



小方盤城とも呼ばれています。奥の四角い建造物が玉門関の遺跡です。


遺跡に向かいます。周囲に何もない平原の中にぽつんと建っています。




建物の前までやってきました。


中に入ることができます。以前は有料だったらしく、ゲートの跡が残っています。こちら側の入り口が敦煌側です。


こちらが内部。左に見える出口が西域方面です。ここを出て、ロプノールやトルファンなどに向かいます。


雲一つない青空です。




展望台が近くにあるので、行ってみます。


こちらが展望台からの風景です。


北側は低地になっており、水がたまる場所となっているため、草が生えているようです。周辺は草も生えていない砂漠だけに、この緑は意外です。1000年ほど前は今よりも乾燥しておらず、川になっており、敦煌まで船で行けたという話もあります。



展望台から南の景色です。日差しが強いです。


門関の遺跡を一周してみます。


遺跡の周辺には、いくらかの植物が生えています。ほとんどはトゲのついているラクダ草です。


来た道を引き返します。




玉門関を後にします。


敦煌の市内へと戻ります。
途中、地平線のかなたに緑が見えます。これは、現在、敦煌から最も遠いオアシス「二?村」だそうです。葡萄や果物の栽培が盛んなオアシスです。


線路です。敦煌まで高速鉄道を走らせる計画もあるとか、さらに、チベットの青蔵鉄道と直結する予定もあるとのこと。敦煌から南に250kmほどでゴルムドに至ります。


ちょっと見にくいですが、ダムがあります。西千仏洞の南西3kmほどの場所にあります。


敦煌の市内へと戻ります。鳴沙山が見えます。



敦煌の市内地へと戻ってきました。


写真撮影


Olympus E-M1, M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO 9mm
f/8 1/500秒 ISO-200
この建物は、漢代の建築物ではなく、唐代に建築されたものとされています。それでも今から1400年ほど前の建物です。


Olympus E-M1, M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO 7mm
f/9 1/640秒 ISO-200

著者
iPentec のライフスタイルコンテンツとトラベルコンテンツの担当。
北欧デザインに囲まれた生活とミニマリストに憧れるも、なかなか部屋の物が減らせない。
掲載日: 2015-09-11
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